里親とフェミニズム2

里親とフェミニズムについて考えているところに、今日の朝日新聞が「ケア労働 報酬と評価を正当に」という記事があり、大きなヒントになった。

ケア労働は多くの場合女性が担ってきて、しかも低賃金。

また、里親手当は、巧妙にというべきか、労働の対価というところから外されている。正確には労働の対価ではなく雑所得になっている。しかし、里親手当はケア労働を参考に決められているといえる。

厚生労働省が里親手当の改定にあたって、どのくらいが妥当か、私は何度も問い合わせを受けた経験がある。算定の背景に女性のパート賃金がある、と言っていいと思う。

興味深いことに、里親の研究をしているような学生なども、里親手当をテーマに研究する人はいない。また一方で、里親の間にも、ボランティアなんだから里親手当をもらうべきではない、と考えている人も少数ながら存在する。里親手当が高くなったことで、世間の里親に対する視線も変わってきたともいえる。

前置きが長くなったが、ケア労働の特質を簡単に見ておくことにする。ケア労働は乳児や老人など、誰もが経験するケアに関わる労働だ。

その特徴の一つはケア労働が市場経済のなかで軽視され、評価されていないということ。女性の再生産労働と位置付けられ、女性にタダで押し付けてきた歴史もある。

第二に、ケア労働は商品の生産活動などと違って、どんな価値を生み出すのか見えにくい。

第三に、サービスを受ける人が乳幼児や老人で、サービスを提供する費用を支払う能力がない。政治的に決められる。

ケア労働は尊厳にかかわる労働であるが、正当に評価する仕組みがない。生産性だけを優先する社会の価値観、人間観を転換していく必要がある。

さらに福祉の外側に置かれている里親手当の問題。ややこしいことになるが、まずはケア労働的にみていく必要があるだろう。