小泉吉永の『「江戸時代の子育て」読本』(小学館)を読んだ。
11代将軍徳川家斉は正室と側女50人との間に55人をもうけたが40歳まで生きたのは7人だったという。 それくらい養育は大変だったわけだ。 乳幼児の死亡率の異常な高さは、堕胎や間引き、捨子の影響もあったが、主な原因は伝染病や小児病だった。
子どもを大事に育てる仕組みに仮親という制,度があったという。 生まれる前から生後数年間にわたってさまざまな仮親がいて、しかも関係は生涯に渡る。
簡単に仮親を説明すると、
帯親――妊娠5カ月目に締める岩田帯を贈る人。
取り上げ親――産婆とは別に出産に立ち会い、臍の緒を切る人。
抱き親――出産直後に赤子を抱く人。
行き会い親――赤子を抱いて戸外に出て、最初に会う人。
守親―—4,5歳まで面倒を見る子守役。
帯親―—3歳ではじめて帯付きの着物を着る際に帯を贈る人。
帯解き親―—女子7歳の帯解きに立ち会う親。
褌親・回し親―—成人式にふんどしを贈る人。
前髪親―—男子が前髪を落とす成人式に立ち会う人。
毛抜き親―—古く女子の成人式で、眉毛を抜く人。
杯親・仲人親―—婚礼時に仲人を務めた人。
ありすぎだけど、こうして親代わりという人たちが多く関わってきたわけだ。それだけ大切にしてきたともいえる。ひるがえって今はどうだろう。