里親として学んだこと

私の住まいの近くに絵本を発行した人がいる。脳梗塞を経験した人が作者。絵本のテーマは、障害者と健常者の分類をやめませんかというもの。

主人公が相手の嫌なところを書いたタグ付けシールをその人に貼る。すると次第にその人の顔がタグになって誰だかわからなくなる。「ひとりぼっち」のタグを貼られてしまうという。そのタグを外すと世界に多様な人たちがいることに気づく。

里親家庭でも、子どもにタグをつける動きがある。乳児院にいたからこの子は愛着障害がある、とか、発達障害がある、とか。不思議にそうやってタグをつけると里親はホッとできる。

しかし、そういうことでホッとはしないはずなのだ。問題は何も解決していない。それに、そうした障害に取り組んでいる施設に行ってみると、委託されている子どもがそんなに「立派」な障害ではないことに気づく。

障害だけでなく、性的な多様性についてもそうだ。LGBTとかレッテルを貼ることは可能だが、最近の動きでは、性のあり方も色彩のグラデーションのようにみるべきだという。さまざまなものを健常者と障碍者に分けることはやめるべきだ。

そういう視点で自分を見ると、まさにさまざまなグラデーションのなかにいることに気づく。多様性というのは、この分野にこのようなグラデーションがある、と理解すべきなのだ。

里親として養育をしながら、分類的に子どもを見ていたことに気づく。それをやめてみると、子どもの苦労している、生きづらい面が見えてくる。そうしてそれは自分の生き方のなかにもあると気づく。