ポリティカル・コレクトネスと里親

ポリティカル・コレクトネス。最近知った言葉だが、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現をしていこうという動き。差別是正活動と言える。
容姿・職業・性別・文化・人種・民族・信仰・思想・性癖・健康(障害)・年齢・婚姻状況などの表現に社会的な差別・偏見が含まれていないか。また適切な表現が存在しない場合は、新語が造られることもある。
昆虫や草花などであきれたような名称のものがある。
また、このことで感心させられるのはLGBTの人たちとの会話だ。先日も性転換した人についてほかの人がそれを本人に知らせず、明かしてしまって問題になった。これをアウティングという。
実は里親に関連しても悩ましい問題が多い。歴史的に固有のイメージをもった言葉なので、それを気にしないで使っても、イメージはつきまとう。それに、里親は親なのだろうか。最近では、短期間預かるだけの里親も多くなっている。それを親と言ってしまうと、実親や子どもにどうなのだろう。こうした動きは海外にもあって、フォスターファミリーといった言葉は使わなくなってきている。

里子という言葉も、その言葉を使わなければならない時だけに限定している。里親家庭の子ども、というように。
「新しい社会的養育ビジョン」でも、数年の間に里親という言葉を変えようとしている。しかし、従来の言葉にはぴったりするものがない。悩ましい。