インターセクシュアリティみたいなもの

インターセクシュアリティとは、人種や民族、階級、障害などのさまざまな軸の重なり合いのなかで性差別の問題をとらえていこうというもの。

そういういくつもの軸に関連させていかないと肝心の問題がスポイルされてしまうのではないか。もちろん社会的養護の子どもたちの問題も同様だ。

そういえば、公共哲学という言葉も耳にした。公共の問題について何が本質かを考えようというもの。

昨日の毎日新聞に「里親さんに感謝」という記事があった。嬉しいなと思って読んでみると犬猫の里親だった。里親家庭で暮らす子どもたちはどう思うのだろうか。やはり当事者が声を上げなければいけないのだろうか。

そう、公共哲学のポイントは行動に起こすことだというが、コロナ呆けで書きたいことがまとまらない。