親(里親)になるとはーー

鷲田清一氏が「折々のことば」で、三砂ちづるの言葉を紹介している。「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ」。

振り返ってみるとほんとうにそうだ。なぜか子どもに向かってはごめんねと言いづらいから、逆に胸に残り続ける。

親だけではない。里親だとさらに、そういうことが多い。そして、子どもに「私を許してほしい」と思うことも多い。

養育は一方的な行為ではない。その反対の営為もある。そのことを何と表現したらいいのだろう。

そういう語彙の不足が、養育を養育者中心のものにしているのではないか。