戦後史でみる子ども観

いま国会などでも虐待防止の作業が急ピッチで進められている。だけどどうしてこんな社会になってしまったのか、現象に追われて、時代そのものを考えてみる人は少ないのではないか。
まず、長い間、子どもは家族にとっても国にとっても宝だった。戦後直後は貧しいながらも産めよ増やせよの意識がまだ残っていた。そのいい雰囲気が花開いたのはニューファミリーという時代だった。所得は増え、家電も家事を楽にした。マイカーの存在はこんなに豊かでいいのだろうかという気持ちにした。この時代は夫婦関係もよかった。その後、個の時代がやってくる。夫婦がばらばらになっていく。お互いに仕事をもち、夫婦は別々の職場の人間関係に広がっていく。同時に、養育のコストも含めて、子育ては負担になっていく。
ばらばらになっていく過程で離婚も増え、子育ては不安定になっていく。子どもがいない方が豊かさを享受できる。
その後、個の時代から個の解体が始まっていく。夫婦の絆どころか、絆を破壊することにしか生存が確認できない。社会のなかには居場所すらない。職業的なアイデンティティを持つことができない。家庭に、DVや虐待が増えていく。
一方、社会的養護から見えてくる今後の危険性は、来日するアジアの女性と日本人男性の力で支配する構造。もうすでに始まっている。来日した女性は結婚、日本国籍を夢に見て、関係を持つが、実現するのはごく一部。政府の統計にこそないが、社会的養護における外国籍や無国籍の子どもが増えている。
子どもの未来はどのように担保されるべきなのだろう。政府は、結婚しないで出産する女性を冷たく処遇しているが、海外と比べてみると制度は大幅に後進国だ。
戦後史的な家庭像、養育像を議論しないで、とりあえず現象面だけ向き合おうというのでは、問題を先送りしているだけだろう。