「育てる」なのか「育つ」なのか

子どもの権利条約的にみれば、子どもは育つなのだろうか、育てるなのだろうか。どうやら子どもは育つものであって、養育者は見守ることはできても育つことそのものは子どもの力によるものだ。

そんなことを考えたのは、今日の朝日新聞鷲田清一の「折々のことば」を読んでのことだ。「折々のことば」は毎日一つの引用された言葉を紹介して、思いを書く。今日のはシェイクスピアの『お気に召すまま』に出てくる「I would cure you.」を紹介している。「私が必ず治します」と訳すべきところだが、東北弁で上演するために下館和巳が訳したのは「治っから」だという。ここには病む人への思いやりが滲む。そのうえで、鷲田清一は、子どものことも「育てます」より「育ちます」と言うべきではないか、と書く。

小さな配慮だが、相手への思いやりと、自分にできる限界を理解している言葉だと思う。養育者は、子どもを育てた気でいるが、子どもは、しっかりと自分の力で育っていくものだ。そこに養育者は、愛情という水をあげるくらいのことだろう。