里親と実親

沖縄の里親の委託解除で、調査委員会のメンバーの意見を読む機会があった。それで思ったことは、児相が里親と実親の間を裂いておいて都合のいいようにお互いに話していることの問題だ。

平成14年だったか、専門里親が制度化されるにあたって、里親も他の関係者と共に協力して家庭改善に努めること、となった。その後それは専門里親だけでなく、養育里親にも拡大された。

しかし、そのことを実践している児相はどれだけあるだろうか。多くの里親は子どもを実親に会わせるため児相に連れて行って、職員が、他の部屋で待っている実親のもとに子どもを連れて行く。子どもが実親と会っている間、里親は別の部屋で待っている。

子どもについて今後どうしていくか実親と話ができたらどんなにいいだろうと思いながら。

アメリカで、実親と里親を会わせる職員に会ったことがある。子どもの委託時に実親と里親を会わせると、子どもの養育について具体的なことがよく分かって効果的だと言っていた。そして、さらに大事なことは、里親は実親を、実親は里親を互いに誤解していることが溶けて効果的だという。

多くの里親は実親のことを養育落第だと思っている、実親は里親から軽蔑されているのではないかと思っている。しかし、実はそんな互いの思いより、子どもの養育について建設的な話ができた方が重要なのだ。もちろん実親はある思いで子どもを養育してきたはずで、それを引き継ぐことは里親にとって大事なことだ。

だが、児相職員にとっては、里親と実親が会うことによって生じる細々のことの方が気がかりなのだろう。

発想を180度変えてもらわないといけない。児相がなんでもするというところから、里親と実親が協力して知恵を絞ってね、と。少なくとも児童福祉法にはそう書いてある。

里親と実親の間のことについて気になるなら、支援機関等に任せればいいではないか。

自分が万能だと思い込むことのなかに、里親と実親を都合のいいように操る芽が隠れている。