子どもの福祉と民主化

子どもへの虐待を疑って、果ては里親の認定取り消しまでしてしまう。先日書いたように、行政不服審査会が申し立てたところで、この姿勢はなおらない。どうして里親の意見を聴かずに、里親の認定取り消しまでするのだろう。

考えの行き着いた先は、子どもの福祉分野には民主主義が取り残されている、ということ。考えてみれば、親子分離でも一時保護でも、里親の委託解除、里親の登録取消、いずれもきちんとしたヒアリングがなされていない。可能性があるというだけで動く。これでは児相の絶対権限だろう。有無を言うな、と。

たしかに、死亡事故などが起きて、児相がやり玉にあがる。だからと言って、可能性がある、虐待をしているようだ、で動いていいものだろうか。アメリカの話を聞いて昔は呆れたものだ。実親にも子どもにも、里親にも、もちろん児相にも弁護士がついて、問題があれば子ども裁判所で議論する。悠長だと思ってきた。しかし、個々の意見を十分に聞くことこそが民主主義なのだろう。

最も大事な社会的養護が、民主主義から遠ざけられている。声をあげる仕組みもなければ、勝手に措置解除や里親認定を取り消す。児相には権限がある、だからでやっていいんだ、ということではないだろう。