昭和26年、何があった?

昭和26年

3月に「社会福祉事業法」が制定される。

5月に「児童憲章」が制定される。

6月に「第5次児童福祉法」が改正される。

この動き、偶然のように見えるが、ここにはさまざまな事情がある。ただ、それぞれを単体で見ても事情はよく分からない。

第5次児童福祉法の改正は大幅に家庭養育にシフトする改正案だったが、なかなか国会に上程されなかったし、その間に内容も変わった。幻の改定といわれている。家庭養育か施設養護か、GHQの動きもあり家庭養育になっていくはずだった。形勢が変わるのは3月の社会福祉事業法の成立である。

昭和21年に日本国憲法が公布され、22年の5月に施行されたが、この89条で施設への支出ができなくなった。それをすり抜けたのが社会福祉事業法だった。家庭養育推進の人たちにとっては大きなダメージだった。

家庭養育推進の人たちは、気持ちがおさまらない。そこで考えたのが、法律ではない児童憲章。内容は素晴らしいものだった。子どもの権利条約にも先駆けている。憲章の2番目にはこうある。「すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる」。施設関係者はそれをどう解釈するかで悩んだようだ。

緊迫感が今日でも感じられる。