本 『里親制度の史的展開と課題』を読む②

里親が増えないのは日本特有の血統主義があるからだといった、証明もできない研究が長いこと研究者の間でなされてきた。

ところで著者貴田さんは、民俗学者柳田國男の言葉を引用する。「日本人の如く、人をやたらにオヤとする慣習を持って居た民族も稀である」と親概念の多様性を指摘する。たとえば名付け親(生みの親が子どものために誰かもう一組の親を見つけて一生の杖柱とする)や子どもが男であれば烏帽子親、女の子であれば鉄漿親、さらに伊豆七島のある島にはモリ親という風習があった。娘が成人する前に必ず一度はどこかの赤子の子守になり、それによってその娘と赤子との間に兄弟の契りが結ばれるだけでなく、その子守の父母がその赤子と義理の親子となって、一生交際を続け、婚礼の席にも必ず参列した。

柳田の論考を検討した坂井摂子は日本には「仮親慣習が存在し、公家社会でも農村でも子どもが健康で柔弱にならないよう他家から子を育ててもらう慣習があり」児童保護ともいえる他児養育の側面があったことを指摘している。

まだまだ続くが、一生その子どもを何らかの形で支えていく存在という点で共通している。血縁重視ではなくてむしろ血縁関係に縛られないさまざまな親子関係を受容し活用できる、としている。

戦後の、血縁重視といった根拠の薄い論文を書いてきた研究者のくすりにでもしたい一文である。

これを読むと、里親の呼称を変えようというより、むしろ豊かな文化をもった日本に誇りをこそ感じるべきだろう。