里親と絆

子どもとの絆が確認できた時に、里親は、里親冥利に尽きる、といえるだろう。
京都の、ダウン症の子どもを養育している里母が、2人で川原で遊んでいて、「もう帰るよ」といって土手の方まで帰りかけた時に、遊んでいた子どもが一生懸命おいかけてきた。初めてのことで、絆ができたことを感じた、とその里母は話してくれた。
そういう瞬間を味わえるのが里親の特権だろう。
絆の感じられる暮らし。たとえば娘が小さかった頃、「ただいま」と帰ると、小さい子どもの体重に即した、跳ねるようなリズムで床が響き、玄関まで迎えに出てくれる。そういう毎日が恩寵のようにあった。
昨日、里親の読書会をやっている柏市ハックルベリーブックス(児童書の本屋)で「庭」をテーマにした読書会があった。ターシャ・テューダーの本。
で、庭について200字程度の文章を書くワークがあった。私は下記のようなものを書いたが、養育中の子どもとの庭での記憶が波のように押し寄せてきた。
『庭』
箱庭療法という言葉があるくらいだから、庭には私の性格の一部が反映しているのだろう。そうやってみると我が家の庭には果実のなる木が多い。いかにも欲張りな私の庭だ。子どもが幼かった頃、ビオトープをつくった。そこにタヌキの親子が水を飲みに来たことがある。大きなオタマジャクシを入れておいたら、ウシガエルになって夜毎に鳴いたこともある。2年ほどいたが、どこかに行ってしまった。いまはドクダミだらけの足の踏み場もない我が家の庭は、まぎれもなく私の内なる庭でもあるのだろう」。