3.11から8年目

昨日は東日本大震災から8年目を迎えて、復興に関するニュースが多かった。しかし災害による孤児など子どもに関するニュースはほとんど見られなかった。そういうなか、東京新聞が取り上げていた。震災孤児は241人、親族里親に養育されるようになったのは95人。叔父叔母などに養育される養育里親には73人。里親になって養育できるか分からないということで里親申請をしないで養育している親族もいる。

東京新聞による里親家庭の近況としては、祖父母が高齢化して養育について不安を感じていること、子どもが成人したなどでは喜びをもらっている、と。

思い返してみると、3月26日から29日まで竹中さんと二人で宮城、岩手に子ども救援として向かった。たしか、25日に東北道が開通して、遠回りをしなくても行けるようになったからだが、全国里親会から派遣してもらおうとお願いをしていた。なかなかOKが出なくて、25日に理事会を開いてもらって、反対の多いなか会長の一声で行けるようになった。帰ってきて4月9日に報告会をやったが、なんと200人以上が参加した。震災に関する情報に飢えていたようだった。全国里親会には「どうやったら里親になれるのか」という問い合わせが900件に上った。里親になるには1年もかかるというと怒り出す人もいた。

孤児の受け入れが可能か全国の里親に呼びかけたところ、複数人数を受け入れてもいいという里親もいて2900人の子どもの受け入れが可能ということになった(その後、遠方の里親に措置するのは子どもの権利上よくない、ということになった)。

避難所には、老人は多く見受けられるものの、子どもは見受けられなかった。同級生の子どものいる家庭などにいるらしいということで、帰ってきてから近所の家庭が孤児を受け入れられるよう「近隣里親」を厚生労働省に提案した。提案した時には賛成の意をもらったが、数日後に「制度を作るのは難しいので親族里親をできるだけ活用する」ということになった。国会でも「親族里親にも里親手当を出すことはできないのか」議論になった(その結果、叔父叔母については出るようになった)。

それにしても、近隣里親は我ながらいいアイデアだと今でも思っている。海外には地域里親という制度がある。親に養育してもらうことの難しくなった子どもが、知り合いの大人に「僕の里親になってよ」などと頼むのだ。小学校の野球のコーチにお願いするとか。『少年と自転車』というフランス・イタリア合作の映画がある。そこに、少年が美容院のおばさんに僕の里親になってよ、と頼むシーンがある。日本で放映された時、地域里親という制度を知らない人たちにはなんのことか分からなかったと思う。

あの当時に比べて、里親制度は格段に進歩した。しかしそれでも地域里親を提案する声は上がらない。見知らぬ子どもと見知らぬ里親が出会う仕組みだけである。それを当然のことのように思っている。なぜ地域里親の声が上がらないかと言えば、子どもの声を尊重しない社会ではないからだろうと思う。子どもの声を聞けば、知り合いのところに行くのが絶対いいに決まっている。

8年がたった。被災地の里親家庭を訪ねたとき、「児童相談所が、大変な時だから子どもを引き上げましょうか」と言ってきて「馬鹿言うな」と言ったんですよ、という里親がいた。子どもの存在が大きな力になっている、と話していたのが印象的だった。