こどもの声を聴く、とは

数年前に児童福祉法が改正されて、乳児院児童養護施設から里親家庭に、と養護の原則が変わったが、具体的にアクションを起こす動きは見られないといっていいだろう。今でも施設維持のために予算を取り、子どもの委託がされている。

法律が変わろうと現状は変わる動きがみられない、というのがこの国の現状だろう、とあきらめの思いを持ちながら、さて暮れも押し詰まったことだし、今年はどうだったんだろうと考える。

こども基本法が施行されて、こども家庭庁が発足した記念すべき年だった。子どもの権利条約が批准されて、ことあるごとにこども基本法を作るように言われ続けてきて、ようやっと作ることができた。でも、理念の部分から理解していこうとしない国だから、仕組みを作る動きなどはなかなかできていかない。原則的には、こどもの声を聴くという動きが出たが、どのように理念から学び、形にしていこうとしているのやら。

なぜこどもの声を聴こうとしているのか、と考えてみても、大人の都合のいいように限定的にしか聞こうとしないのではないか、一部の子どもの表現だけ聞いて子どもすべての声を聴こうとしないのではないか、子どもにどれだけフィードバックされるのだろうか、など心配の方が先に立つ。

こどもの声が聴かれるとは、こどもの基本的な権利行使なのだ、というところをしっかり押さえて行われるべきだろう。

こども基本法の第3条、いわゆる基本理念としては、①個人として尊重されその基本的人権が保障されるとともに、差別的な扱いを受けることのないようにすること、②その健やかな成長及び発達並びにその自立が図られること、③その年齢及び発達の程度に応じて、事故に直接関係するすべての事項に関して意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会が確保されること、④その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮されること、とある。

第11条では、国及び地方公共団体は、こども施策を策定し、実施し、及び評価するにあたっては、当該こども施策の対象となるこども又はこどもを養育する者その他の関係者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。とある。

措置を講ずるとは努力目標ではなく、義務ということだ。

さて、こどもの声を聴く必要性が最も高いのは社会的養護におけるこどもたちだろう。人権にまで踏み込んだ聴く行為を実現してほしいものだ。そして、子どもを養育する者=里親の声にもそれを反映してもらいたいものだ。