特別養子縁組を考える

数年前、ある研究会の打ち上げで厚労省の職員と話す機会があった。特別養子縁組の話になって、基本は民間事業者にお願いする、のだという。

いま、多くの事業者は、養子縁組希望の里親として登録し、行政の行う研修も受けてもらいたい、としている。

もちろん、多くは里親会などには関心をもっていない。また、制度が違い過ぎていて、交流を妨げることにもなっている。

特別養子縁組への支援は民間事業者の方で、と厚生労働省は考えているようだが、必ずしもコンセンサスがとれている感じではない。

私は、特別養子縁組制度の話を聞いた時から、なにか違和感をもっている。それは最近の、こども庁が子ども家庭庁になったことなんかとも通底しているのかも知れない。

日本は、特別養子縁組というと家(親の老後)や家系、墓守などを思い浮かべてしまう。言わば大人世界の制度として考えてしまう。

しかし、子ども主体の考え方、社会的養護の一環として特別養子縁組を考えることはできないのだろうか。

アメリカでは、措置費という名目ではないが、ほぼそれと同額のお金が養子縁組にも出ていると聞いて、特別養子縁組の制度設計の段階で海外の事情もかなり調べたはずだが、と思った。

社会的養護の一環としての特別養子縁組を含めて、里親よりも上位の養育形態とすべきではないかと思う。子どもの権利条約では、里親よりも先に養子縁組がきている。近年、施設よりも里親で、とは考えられるようになってきたが、里親よりも養子縁組に、という議論はなかなか出てこない。あるいは、議論としてはあるが運用されていない、というべきか。長期養育の必要な子どもを成人するまで里子として養育し、成人した時、我が家の養子となるか、という話は多い。措置費が出るからだ。

アメリカの場合、子どものパーマネンシーの観点から、養子の場合でも措置費同額の経費が出る、ということらしい。子どもは里子よりも養子縁組した方が気持ちの上で安定しているという。

日本は文化として特別だ、という考え方が、特別養子縁組の制度を遅らせているのではないだろうか。子どもは家庭とセットで考えるべきだ、とする自民党保守派の声が時代を遅らせているように思う。

国際的な基準である社会的養護としての特別養子縁組が議論されるべきだと思う。

不妊治療に保険が使えるようになって、その時、里親や特別養子縁組についても厚労省はPRしているという。

しかし、今のままでは、要保護児童の視点が弱いかない、と言える。あえて、大人のための養子縁組と考えたい、としているようだ。