「父権社会の強圧」を読む

やはり新聞記事からの啓発でブログを書くことになる。今日の朝日新聞文芸時評が面白かった。タイトルは「父権社会の強圧」というもの。

出産に関する自己決定権を「リプロダクティブ・ライツ」と言って、子どもを産むか産まないか、いつ、何人産むかを当人が決める自由のこと。4半世紀も前に国際会議で合意がなされたにもかかわらず、たとえば日本では出産は結婚して、という圧力が働く。アメリカでは妊娠中絶禁止法が成立したりしている。「女は子どもを産み、家を守る」というのは父権社会の強圧ではないのか、という。

面白いのは「性の自己決定権」を有するのは生む側ではなく生まれる側ではないのか、とする考え方。こうなるとSFの世界だが、胎児に誕生後の生存難易度を数字で伝えて、出生意志を確認する。それが「合意出生制度」として法制化された未来。胎児の意思に反して出産すれば、出生強制罪として子が親を訴えることにもなる。

また、同性婚をした主人公が人工妊娠手術で子を宿す。この、親の勝手な産意は殺意と同様、他者への支配欲の発露ではないかと悩み、夫の「次を作ろう」という言葉に傷つく。性の自己決定権という圧倒的な正しさの元で苦しむ。

産む器官を持たない側はどんな思いでいるのだろう、という視点で書かれた小説も紹介する。また、産むと決めたのは本人だとしても、背景には各共同体の因習がある。先に述べたような国際会議の決定より因習の方が強くなってしまう。

フェミニズムは女性を縛りつけ家族の世話を強いる母性神話の解体にいそしんできたが、「母=女性」ではなく、「母=弱い者をケアし守る者」として位置づけ再考する必要があるだろう、などの対話も紹介している。

人類はめんめんと生き繋いできた。それをどうするのがいいのか、考える人たちが現れている。難しいが、極めて大事なことであろう。