手話化する社会

子どもの頃から難聴だった。それが幸いして、若いころ、倒産する会社への入社を免れた。これだけでは説明不足だろうが、近年とみに聞き辛くなった。気楽なことを言っていられなくなった。

ところで、コロナ禍の現在、手話が評価されつつある。軽く使うのはオンライン会議で。「こんにちは」「ではさようなら」と。

ある小学校では給食の時間におしゃべりが禁止されているので、「頬をかるくポンポンとたたき、手のひらをいったん下に向けた後、返した手を相手に向ける」、それは「おいしかったですか」の意味。

新型コロナは人の生きづらさに気づかせてくれる。障害者だけが感じていた不便さに社会全体が気づいたともいえる。

子どもの生きづらさ。老人になって振り返ってみると、生きづらかったと思う。障害のある人は生きづらいと思うが、障害がなくても生きづらかった。私たち里親家庭では、そうした子どもも受け入れている。

さあ、今日も新しい朝を迎えて、大いなる気づきとともに生きていこう。