死んだ人が帰ってくる

お盆。地獄の釜の蓋が空いて、一時だけど死んだ人が帰ってくる。ナスやキュウリで馬をつくって迎えに行く。日本の夏の風物だけど子どもたちにとっては何のことやら、だろう。

そして、施設で暮らす子どもたちには、お盆はどう映っているのやら。そんなことを考えたのは、里親家庭に来た子どもたちが意味不明の世界に投げ込まれたように感じているとの話を聞いたから。

節分に、イワシの頭と柊の葉を戸袋に刺したり。もう日本の風習も外国のよう。だけど、日常のこうした風習のなかに置かれることが安心にもつながるのだろう。

で、このお盆の風習、子どもの世界観にはとても大事な気がする。自分は誰だろう、ここはどこだろう、そういうことを考える年代に、世界観の原理を教えてくれる。言うまでもなく確かな原理ではない。あの世が存在するのかどうか、誰にも分らないことではあるが、考えるヒントにはなる。最近は情報過多で、脳が入力だけで考えることをしない。健康に影響しているという。こんな時代には考えるヒントこそが大事なのだ。

「前世がなかったら幽霊ではありませんか」存在そのものを揺るがす言葉にドキッとしたものだ。漫画家つげ義春の『ねじ式』の一場面だ。