特殊里親のいま

千葉県、とくに私の住む市川市では昭和30、40年代に特殊里親という仕組みがあった。知的障害児など自立の難しい子どもたちを迎え入れる里親である。里親が経営するなし園で軽作業をする。ていのいい労働力かと思われがちで、事実戦後の里親制度は児童労働と児童福祉がなかなか切り離せなかったらしい。私が里親になったころも職親という制度が残っていた。
しかし労働と割り切っては戦力にならなかった、と当時の記録にある。とくに、措置が解除になったからといっても行く先はない。ずっとその家で暮らすことになる。
そういう家庭が、千葉県ではなし園、落花生栽培、山梨県ではもも園などであった。障害児施設ではない受け入れ先として、家庭が提供されていたということだ。
そういえば古い里親仲間がなし園をやっていて知的障害の女の子を預かっていたな、と思いだして久しぶりにお会いした。里母は80歳。里子だった人は30歳になる。今では知的障害だけでなく状態は重いという。そろそろ面倒を見るにも限界を感じ始めているらしい。
「先に死ぬには思いが残る里親」が私の周辺には多い。こうした里親はすでに里親登録はやめているから、里親制度上で表面化することはない。子ともども棄民になっている。自立の難しい子どものその後、何年たっても自立できない子どもを抱えた里親。この辺に日の目はあたらないものだろうかと思う。
愚痴っぽくなってしまうが、児相の職員は措置できてよかっただろう。しかし措置解除後のことも検討して措置してもらう必要がある。人のよい元里母だけに依存するような仕組みでは里親は増やせない。