児相業務のデジタル化

古い話で恐縮だが、里親になりたての25年ほど前、児相を訪問したら郵便物の転記をしていた。なるほど、会社でも昔やっていたな、と思いだした。

いま、児相業務のデジタル化問題が話題になっているという。帰ってきてから報告書を書いたりして忙しいというが、いまやそんな業務をしている時代ではないだろう。訪問した現場で、タブレットで入力して、事務の効率化や案件の対応精度を高める必要がある。

どうも駆け足なら周回遅れのような気がしてならない。

しかし一方で、児相の人材不足は深刻なのだという。東京都など新たに児相を作る動きがあるが、採用が難しいらしい。これは我が地域、千葉県でも同じだ。

災害と里子

3.11のときに被災した里親家庭を訪問したことがあった。濡れた畳を通りに運び出している最中だった。児相から預けた子どもを帰してほしい、と言われたという。災害の時こそ子どもが励みになっている、とその里親は話していた。

状況にもよるだろう。預かったばかりならこうした状況にいない方がいいのかも知れない。子どもの年齢にもよるだろう。

子どもはどう考えているのだろう、と思う。まず子どもの声を聴くべきだと思う。いま、能登半島の被災地の場合、子どもの声は大事にされているのだろうか、と考える。子どもがこういう場合どう考えているのかが一番大事な問題ではないのか。子どもたちの声を聴きたいものだ。

まごころ奨学金

要保護児童を対象にした奨学金ではなくて、犯罪被害者家庭の子どもたちが対象だが、振り込め詐欺などに利用された疑いで金融機関が凍結した口座の資金のうち被害者から返金請求のなかったものが原資になっている。10年間で7.6億円というからバカにならない。

奨学金を作りたいが、という相談を受けることがある。ある業界団体が、その業界に優れた人材を就職させようといって奨学金を作りたい、など。

就職を前提にした奨学金は未来を人質にするようで嫌だが、意外なところでお金が余っているところがある。

子どもの権利条約 養子縁組をどう考えるか

子どもの権利条約では、親子分離して帰れない場合は時間を定めて親権放棄させて養子縁組をするように、としている。

日本の場合は、子どもよりも大人の都合で養子縁組を行っているように感じられる。

数年前だったが、厚生労働省に、養子縁組をどう考えているか聞いたことがある。担当者曰く、養子縁組はできるだけあっせん業者にお願いするように考えている、と言っていた。

あっせん事業者は、生まれたばかりの子どもの養子縁組に特化している。

その結果、施設に10年以上いるこどもが10%を超えている。里親家庭はもっと多いだろう。安定のための環境から言えば、家庭に帰れない子どもについてはできるだけ早く養子縁組を検討すべきである。

長期に里親家庭にいる子どもたちがよく言うのは、いつまでここにいられるのか、ということ。曖昧なまま生活しているのでなく、早めに安定した居場所を提供すべきだ。

アメリカの州によっては、養親にも里親手当と同額の手当を出しているところがあるという。

子どものための養子縁組制度であってほしい。

子どもの権利条約 政府報告の時期

国連子どもの権利条約の前回総括所見で、次回報告を2024年11月21日に求めている。まもなく、だ。

代替養育で、前回総括所見で指摘されていているのは、

(a)子どもを家族から分離するべきか否かの決定に関して義務的司法審査を導入し、子どもの分離に関する明確な基準を定め、かつ、親からの子どもの分離が、最後の手段としてのみ、それが子どもの保護のために必要でありかつ子どもの最善の利益に合致する場合に、子どもおよびその親の意見を聴取した後に行なわれることを確保すること。

(b)明確なスケジュールに沿った「新しい社会的養育ビジョン」の迅速かつ効果的な執行、6 歳未満の子どもを手始めとする子どもの速やかな脱施設化およびフォスタリング機関の設置を確保すること。

(c)児童相談所における子どもの一時保護の慣行を廃止すること。

(d)代替的養護の現場における子どもの虐待を防止し、これらの虐待について捜査を行ない、かつ虐待を行なった者を訴追すること、里親養育および施設的環境(児童相談所など)への子どもの措置が独立した外部者により定期的に再審査されることを確保すること、ならびに、子どもの不当な取扱いの通報、監視および是正のためのアクセスしやすく安全な回路を用意する等の手段により、これらの環境におけるケアの質を監視すること。

(e)財源を施設から家族的環境(里親家族など)に振り向け直すとともに、すべての里親が包括的な支援、十分な研修および監視を受けることを確保しながら、脱施設化を実行に移す自治体の能力を強化し、かつ同時に家庭を基盤とする養育体制を強化すること。

(f)子どもの措置に関する生物学的親の決定が子どもの最善の利益に反する場合には家庭裁判所に申立てを行なうよう児童相談所に明確な指示を与える目的で、里親委託ガイドラインを改正すること。

だ。

a)子どもを家族から分離する際、司法審査が求められている。考えてみれば当然のことではないだろうか。児童相談所の任意判断だけで行われる現状のやり方では納得できない親子分離が行われる可能性がある。そうした声が親の方から多く上がっている。

b)の「新しい社会的養育ビジョン」の計画的な進展も,どうも心もとない感じだ。

c)の一時保護の見直しも大きな課題だ。児童相談所に併設されている一時保護所。4割以上に併設されていると思われるから、これをなくすことがはたしてできるのだろうか。とはいえ、一時保護というあり方は戦後まもなくつくった制度という感じがする。

e)は、施設に財源をつけきたが、これからは家庭養護に振り向けろ、ということ。施設養育から家庭養育に変えようというわけだから、これも当然だろう。

簡単な変更ではないので、計画的な取り組みとなるだろう。さて、国はどう考えているのだろう。

保護を必要としている者に横暴にふるまっていないだろうか

年を取ってきたせいか新聞をよく読む。新聞に触発されることも多い。

今日の朝日新聞、一面の「折々のことば」ではこんな一文が紹介されていた。

「支援を必要としている状態の時ほど、理解のない者が「保護」を理由に生活や身体に侵入し、横暴にふるまう」

ほんとうにそうだなあと思う。保護を必要とする子どもたちに向き合う里親は、心してこの言葉を味わう必要があるだろう。里親だけではない、児童養護施設乳児院、そして児童相談所も同じだ。「保護」されるために用意されたところが、気づかない間に横暴になっていないだろうか。

子どもの時間

アメリカの児相の対応で、時間的な要素が大きな問題となるという。いつまでに何をしなければなかない、と定められているというのだ。親元に返す時間、親に問題がある場合にも、何日までに親元に返れないのであれば親権を剥奪し、養子縁組のみちを検討する、としている。

日本では、親権は重要であると考える。しかし子どもは親のものではない。子どもを守るうえでの親権であるはずだ。

その、保護に関するタイムラインを聞くと早いなあと感じざるを得ない。たぶん、子どもの時間感覚への配慮があるのだと思う。

個人的な話だが、年を取ってくると時間が早く過ぎていくように感じる。レコードに例える人がいた。外周に近いところでは一周に時間がかかる。レコードの中心部分に近づくと、一周当たりの曲の時間は短くなる。

ある人が、大人と子どもの時間感覚を研究した。年齢の逆数に比例するという。7歳と70歳では、7歳の子どもの7日分が70歳では1日だというのである。大人の時間感覚で物事を決めていると子どもにとっては取り返しのつかない時間になるというのだ。

親元を離れて、保護されている時間はより早く、短くなければいけない。また、親による養育が難しいようであれば、できるだけ早く親に変わる環境を用意しなければならない。

子どもの時間を尊重しなければ、ということについては、可能な限り子どもの発言を大事にすることだろう。