児相の対応について

2月27日の読売新聞に、向精神薬を4歳の娘に飲ませて殺害した志保容疑者のコメントが紹介されている。「いろいろ言われるのが煩わしかった」と児相への不満を周囲に漏らしていたという。ほかにも、児相の対応で、子どもに愛情を持てなくなった、など。もちろん、こうしたことが殺害の理由になっていいはずはないが、児相の対応はどうにかならないものだろうか、と思っていた。そうしたら、翌日の同紙に「不当な面会制限」の記事が大きく出ていた。

虐待を受けた疑いがあるとして児相が一時保護した子どもをめぐり、面会を制限された親が児相側を提訴するケースが相次いでいる、としている。児相側は子どもの安全を第一に対応しているが、面会のルールがないことや人手不足が要因になっている、と専門家も指摘している。

人手不足はじゅうぶん考えられる、と思う。虐待の疑いで里親宅から引き上げられた案件でも、じゅうぶんなヒアリングはなかった、と里親は訴えている。赤ちゃんがミルクを飲もうとしなかったので、頬をトントンとした、と里父が話したことを虐待案件と判断して引き上げた、というのだ。

もう少し丁寧な対応が求められるべきだ。この事例だけでなく、里親と児相の間で、コミュニケーションがあったらこうはならなかっただろうに、と思うことは多い。

親と児相の関係は私たちには知り得ないが、あってもおかしくないと感じる。今度の『里親だより』(139号)でアメリカの里親事情を紹介したが、最も優先しているのが、解決への時間的な速さの必要だという。大人の時間で子どもの時間を考えてはいけない、というのが背景にあるということだ。