育児・考

10年ほど前、当事者主権という新書で、上野千鶴子さんが、乳児期の子育てって介護度5だよね、と言っていたのを思い出す。言葉ができないし食事もシモの世話も他人の手を必要とする。何気ない言葉だが、10年も忘れずに私の記憶に残る。

育児を何に例えるかで、大変さは変わってくる。介護との違いは子どもには未来があるということだろう。そのぶんが有難いという気持ちにつながってくる。

育児について、サイボーズの青野社長が最近「育児就業」という言葉を使っている。考えてみれば「育児休業」というのは誰が言い出したのだろうか。会社にいた男性の考えだろうと思う。しかし、そろそろ、育児を休業という言葉で言ってはならないように思う。育児休業の間に手に職をつけようなんて岸田総理も言い出していた。大きな反対にあったが。

それから、気になるのは、長い間の統一教会と主として自民党の癒着関係だ。いま誰も疑ってもいないが、こども庁が短期間のうちにこども家庭庁に変わった。来月から発足するので、もう反対する人たちもあきらめてしまったのかも知れないが、統一教会の問題が出てきてから、家庭という言葉と政治の問題を問いなおすべきではないかと思っている。

最近話題になっていることで、地域に広がる家庭支援条例がある。どうやら広がりの背景に、旧統一教会の信者の影が見え隠れしているという。同じような問題と指摘されているのは同性パートナーによる結婚への反対。信者が団体として活動していると言われている。

子どもの育児について家庭の存在が欠かせないとする自民党統一教会の考え。子どもは家庭に恵まれなくても育つ権利があるはずだ。どうしてその視点をもてないのだろうか。

育児は休暇を取得して行うべきだ、というあたりに、子どもの人口が減っていく原因があるだろうと思うが。