極私的、当事者性

当事者性というのは極私的なものである、なんて誰に言われなくても知っていることだが、なんと、尿道管結石でうなっている。痛い。我慢の範囲を超えている。で、医者に行ったのだが、CTなど調べが終わるまでは治療はしない。

痛さのせいで吐き気に襲われる。待合室を転がりたい。

そんななか、当事者性とはこういうことだろうか、なんてことを考えた。原則は孤独なことだ。こんなに痛いのにほかの人は平気。

当事者仲間がいるといいね、とか言うが、仲間がいるからとしても、解決するものではない。

人間という命はこういう孤独のなかを生きるしかないのか、なんて、とても甘っちょろいことを考えた。