ライフチャンスの保障

中学生の頃、アナウンサーになりたいと思って家族に話したことがある。いうまでもなく一笑に付された。田舎で、経済的にも高校までの進学が精一杯。方言のきつい地域でもある。それに、もともと何かになりたいなどと言う文化はない時代だった。今だったら多少知恵もついてきて、ライフチャンスは保障されなければいけないのだぞ、と家族に説教もできるのだが。
こんなことを考えたのは、児童養護施設出身者が施設長を殺傷した事件をニュースで見たから。まだ動機など具体的なことは分かっていないから、この事件に関して何かいうことはできない。が、多くの施設で退所者のアフターフォロー事業部が設置されて、退所者への支援に取り組んでいる。進路相談などにも積極的だという。そういう関係者にはショックなことだったのではないか、と思う。一方で、社会的養護で育つ子どものその後について、詳しいデータがない。考えてみれば、それがなければ社会的養護の評価もできないわけだが。
明石書店から『社会的養護のもとで育つ若者の「ライフチャンス」--選択肢とつながりの保障、「生の不安定さ」からの解放を求めて』(永野咲著)が出ている。このブログで、少し前から書いているアドボケイトでも、当事者の進路について反対してはいけないという原則がある。衣食住だけではない、想いに対する支援はどうだったのだろうか、などとも考える。
もちろん社会的養護の子どもたちだけではない。子どもの貧困が話題になっている。子どものころの習い事にも貧困が大きな格差を生んでいる。
「そんなのムリだよ」ではなくて、どうしたら実現できるかを一緒に考えることのできる支援者でありたい。