里親を取り巻く環境

全国里親会の発行する『里親だより』を手伝っている。手伝っているというより、わりあい自由に編集をさせてもらっている。先日、関係者によってこれからのあり方をオンラインで話し合った。

読者が里親だけでなく、児童相談所を始めとする行政職員や施設の里親支援専門相談員などの支援者など広がりが出ている。

そういうことから、里親を取り巻く環境がここ数年で大きく変わったと感じている。児相職員では学校を出たばかりの若い職員が多い。里親家庭でおこるさまざまな問題など知ることもなかったに違いない。児童養護施設乳児院に配置された里親支援専門相談員だって里親のことはよく分からないだろう。新しく里親支援がミッションとなった児童家庭支援センターも支援については手をこまねいている感じだ。

各地で取り組みが始まったフォスタリング機関も里親にとっては曖昧模糊。児相の業務を肩代わりしようというフォスタリング機関を、日本語にして包括的里親支援と呼ぶのもおかしい。里親支援という名をつければ、いろいろなことが実現しやすいのだろう。里親にとっては迷惑は話だ。

フォスタリング機関については、行政との契約で、自分のところが開拓した里親を対象に里親支援を行う、というところがある。それ以外の里親は支援の対象ではない、としたら従来の里親は支援を受けられないということになる。

里親を取り巻く環境について言い出したら切りがない。里親を拡大したいとする人たちと、施設の現状維持を願う人たちの問題もある。ミクロ的には子どもの養育をめぐる問題、そしてマクロ的には政策をめぐる駆け引き。本来ならもっと議論があっていい分野だ。とくに視点そのものを、養育関係者中心から当事者である子ども中心に変えるべきだ。

多くの課題を抱えながら、取り組み始めた地域の社会的養護改革もコロナの影響で頓挫しかかっている。

あまりにも大きな変化のなかで、16P の『里親だより』では対応が難しい。また、10数年やってきて思うのは、大学の先生などのいわいる論考をする人たちに現場感がないことだ。侃々諤々と議論をする中に子どもも入れて、もっと大きなうねりを作り出していく必要がある。

明石書店の石井社長と、亡くなった青学の庄司先生が目論んだ『里親と子ども』のような、大きな波に挑戦していく人が現れてほしいものだ。