親(里親)になるとはーー

鷲田清一氏が「折々のことば」で、三砂ちづるの言葉を紹介している。「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ」。

振り返ってみるとほんとうにそうだ。なぜか子どもに向かってはごめんねと言いづらいから、逆に胸に残り続ける。

親だけではない。里親だとさらに、そういうことが多い。そして、子どもに「私を許してほしい」と思うことも多い。

養育は一方的な行為ではない。その反対の営為もある。そのことを何と表現したらいいのだろう。

そういう語彙の不足が、養育を養育者中心のものにしているのではないか。

ケア階級への評価

イギリス在住のプレイディみかこさんが6月11日の朝日新聞に寄稿している。そこで、人類学者デヴィット・グレーバーの「ケア階級」を紹介している。他者をケアする仕事(医療・教育・介護・保育など)をしている人々のこと。バスの運転手、ごみ収集員。社会的養護関係者もこのなかに入るだろう。

みかこさんは、コロナ禍で明らかになったのは「この人たちがいなければ地域社会は回らない」。ロックダウンのなかでケア階級の人たちはキー・ワーカーと呼ばれて英雄視されたという。

こうしたことを通してみかこさんは「ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的存在にすぎず、互いをケアしなければ死んでしまうということに気づいた」という。

一方、このケア階級と対峙した概念としてグレーバーは「ブルシット・ジョブ」(どうでもいい仕事)を唱えているという。コロナで、命か経済かという問いが生じたのは奇妙なことだ、と。ケア階級がまるで経済とは異なるように考えられている。

みかこさんは多くのケア階級が低賃金で、まるで経済とは別のところに置かれているようだと指摘している。

ーーケア階級の再評価こそが「新しい日常」の課題と言えるだろう。

 

くどいようだけど子どもへの給付金

社会的養護の子どもたちには子ども自身にコロナ給付金がでる。それについて子どもは楽しみにしていたのに、児相職員は使わずに貯金するようにとしている。

子どもだってなにかとストレスの多い期間を過ごしてきたのだから、良く頑張ったね、と言ってあげたいし、そのためのお金でもあると思う。

こうした児相職員の言葉の背景に、頑張ったのは大人たち、という考えがあるのではないか。

里親家庭・コロナ感染対策として措置費の特例措置

里親家庭においても養育に手がかかったり食費が増えたりしている。

国はコロナ対策でさまざまな支援策を取りまとめている。第二次補正予算に里親家庭の措置費について特例を設けて措置費を+αしようとしている。詳しいことは分かっていない。

 

虐待死、千葉県の対応は「公表しない方針」?

野田市の小4女児虐待死事件については、地元で起きた事件にも関わらず、ここで触れてこなかった。地元だからこそ、知らないことをそのままにして軽々しく発言することはやめようと思ってきた。

昨日の朝日新聞の千葉版が触れたことだけなので、これもその情報だけを真に受けるのは危険なのかも知れない。最近はフェイクニュースも多い。むしろ間違いであってほしいと何度も記事を読んだ。

この朝日新聞の伝えるところによれば、千葉県は、新たに虐待事件が発生した場合一切情報を公開しない方針なのだという。県の個人情報保護条例に基づく措置なのだという。

野田市の虐待死事件を教訓にするなら、この判断は大きく間違っている。確かにさまざまな不手際があった。その結果、命が失われたわけだが、もしも事件を伏せて、ないものとされていたら。そう思うと全身が寒気だってくる。

実はまだ朝日新聞の千葉版だけであって、この話の背景も知らない。こんな問題の多い県の対応について、他のメディアが沈黙していると思えない。

そして今回、千葉県市原市で生後10か月の子どもが衰弱死している。即、市の対応に問題があったか、と責任の追及だけに関心を持ちたくはないが、事件の発生で行政が委縮しきちんと報道されないとしたら。

県の個人情報保護条例がこんな形で使われるとは。作ったときに想定されていたのだろうか。問題の大きさからいえば、私たちの知る権利の方がはるかに大きいと感じる。

児童手当や今回の給付金、支出か貯金か

以前から疑問に思ってきたことの一つに、児童手当って里親にとってどういうお金なのだろうということ。自治体によって考えがばらばら。

多くの自治体では、子どもへのお金だから使わないように、子どもの口座をつくって管理するようにと言われている。ほんとうにそうだろうか。

もちろん子どもへのお金という性格をもっているが、養育者が使っていけないというものではないのではないか。措置費には養育費が含まれているから、そこに使うことはできないが、旅行や高額の楽器を買うとか、養育費以外の部分に支出することは可能なのではないか。

児童相談所の職員が説明しにくいので使わないように言っているだけではないのか。現に、どことは言わないが、養育費以外の支出を認めている自治体がある。

そして今回のコロナの10万円の給付金。これにも、使わないでと児童相談所から釘を刺されている里親が多い。

里親によっては、子どもが休校などでストレスの多い生活を送ってきたのだから、コロナが収束したら、みんなで旅行をしようね、としていた人もいた。児相職員の、使わないで、という選択が正しいのか、養育費以外の部分で支出をしていいと考えてもいいのか。

厚生労働省に聞いてみたいと思っている。さて、みなさんの考えはいかがでしょうか。ぜひご意見をお聞かせください。

 

社会的養護の子どもたちの給付型奨学金

まだ始まったばかりだから、いろいろな混乱があるのは仕方がない。でも、間違った運用があるならただす必要があるだろう。とくに国の行う奨学金は学校の先生が申請作業をするのだから。

こんなことを考えたのは、日本人学生にない「成績優秀」要件が留学生にある、というニュースを見たから。

生活難と成績は別のものだろうと思う。

おなじことが社会的養護の子どもについてもいえる。日本学生支援機構の給付型奨学金、社会的養護の子どもについては成績要件はないはずなのに、高校の先生から、成績が良くないから申請資格がない、と言われたそうだ。

里親も十分な知識がないためにそのまま認めてしまったが、きちんと主張すべきだった、と思う。