里親会ってなんだろう、どうなるんだろう

これから書くのは、もちろん私見であり現在の里親会の活動に水を差すものではないが、もっと虚心坦懐に議論していってもいいテーマではあるだろう。
里親会の発展の道筋をたどると、まず昭和30年前後、里親の増加とともに始まる。その始まり方は里親が結成したというより児相が里親それぞれと連絡がとりにくく、主に児相職員が事務局員となって事務所も児相に置いてスタートした。だから、里親の自覚のもとに始まったものではない。今でも児相に事務所を置いているところは多いに違いない。しかし、人的には、児相がいつまでも事務局員をやるわけにはいかない。
平成になって、里親同士の親睦や里親サロンなど、里親のピア的な団体として発展してきた。だが里親会を運営するために里親登録をする人はいない。運営は手詰まりになる。
平成20年ごろから、里親支援の必要が言われるようになる。児童福祉法も改正される。里親会が支援機関の担い手になってもいいはずだが、その業務を担うことは難しい。組織も体制もない。里親支援をきちんと担っている里親会はわずかだ。
こうした3段階くらいで発展してきたはずだが、本当に発展してきただろうか。そして今後はどうなるのだろうか。今年から始まったフォスタリング機関がそのカギを握っているように思える。
フォスタリング機関は自らが開拓した里親を傘下に置き、里親の養育などの支援を行っていく。そうなっていくと、里親会の活動は停滞していくのではないか。言い方を変えれば、十分な里親支援のないところで里親会の存在意義があった、ということになる。
社会的養護の先進国でも同様の道を歩んできたように思う。全米里親大会も近年聞かれなくなった。日本からの参加者もいたのに。世界大会のIFCOも開かれなくなった。日本からの参加者もいたのに。
日本も社会的養護における家庭養育は大きな転換期にある。しかし、この機運を作りだしたのは里親会ではないし、転換期のリーダーシップをとることもできないでいる。