子どもの権利までの長いモノローグ

権利とはどういうものか、そんなことを考えたのは、里親の学校で当事者から「権利には義務が伴うよね」と聞いたことから。

日本は勝ち取る、あるいは命を懸けて奪い取った権利ではないから、こんな感じになってしまうのだろう。

人類史的にみれば、人間は神との関係で世界観を作ってきた。主に西洋のほうだけど。神とコンタクトできる人が人間世界のトップになっていた。王が現れて王が神との交流を通じて人間を管理してきた。そういう王政国家から議会制が出てくる。人間が人間を治めようと。要は神との関係から人間同士の関係に代わっていく。

上下から水平に。人間同士のコミュニケーションとしてお金が発達する。民主主義も発達する。人間も生まれながらに自由なんだ、権力に縛られる必要はないんだ、王様はいらない! そういうわけで「生きる権利」も登場する。イギリスではマグナカルタ。王も法律を守れ。アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言。

だから、いまグローバルというと経済だけに使われるが、民主主義や人権についても世界化が進んでいる。連綿とした歴史の中にいる。勝ち取るための歴史的な活動なんだね。命をかけた。

ただ、そうした価値のグローバル化はいまヘンなことにもなっている。ポピュリズムとか、民主主義や人権をベースにおかない中国の経済とか。生まれながらに持っている自由権を保障しろ、というようなパワーが少し弱まっているんじゃないか。まあ主張し、勝ち取るものだから、そんな弱音を吐くべきではないけれど。

人間の権利、基本的人権は、いまもっと細分化されてきている。女性として生きる権利、子どもとして生きる権利、障害者として生きる権利、LGBTとして生きる権利など。まだまだある。生きづらさをもっている人たちはもっと声をあげるべきなんだ。社会的養護にいる子どもたちはもっと強く主張する必要がある。

ちょっと先走ったけど、子どもの権利には難しさもある。発達途上だから守られる権利みたいにしか言えない権利もある。子どもの権利条約でいえば4つに整理することができる。

1.生きる権利

2.育つ権利

3.守られる権利

4.参加する権利

長いモノローグにしようと思ったが、この辺で終わる。人類史の流れで権利を考えてみようと思った。戦いの歴史だから、力の強い人はなんとかごまかそうとする。用心しよう。

『子どもの権利ノート』が手元にある。評価する人もいるが、与えられるものは信じないことだね。自分の声で主張していくなかに真実があるんだと思う。