「子どもの権利」のコペルニクス的転回

平成28年児童福祉法改正は、代替養育を施設養護から家庭養育へシフトした点のみが注目されがちだが、むしろ子どもの権利を本格的に俎上にのせたという点で評価されるべきと思う。第2条で国民は子どもの意見表明などを支援する必要があると書いている。
ところが、権利擁護の視点はなかなか理解されようとしていない。それは、養育者など大人に子ども観を大きく変えさせるインパクトをもっているので、どうしても保守的になってしまうのだろう。
子どもの権利条約のベースになったコルチャックはこう言っている。
――「将来のために」と称して、大人は子どもに過重な義務を課しています。いま、この時に、生きる人間としてのさまざまな権利を子どもに保障しないままに――
世の養育者は、子どもは未熟な存在だから将来のために学ばせる必要がある。子どもに権利意識を与えるとワガママになる、と。習い事で追い立てていれば養育の手も省ける。
改正前の児童福祉法の理念は、愛護が中心になっている。弱い存在の子どもを守ることこそが使命で、子どもを権利行使の主体である、とは考えなかった。実は今回の児童福祉法の改正は子ども観のコペルニクス的な転回なのだ。そこに気が付く必要がある。
そのポイントは意見表明に関する権利だろう。コルチャックの言う「自分の希望を真剣に受け止め、愛情と敬意をもって扱われる権利」である。
『社会的養護児童のアドボカシー』(栄留里美・明石書店)によれば、イングランドなどでアドボカシーサービスが制度化されたのは、施設内虐待の大規模調査が契機になっていたという。子どもたちが虐待を受けていても口にできないことが問題になり、子ども側に立ったアドボカシーサービスの導入が必要とされた、と。そして、アドボカシーサービスがすべての自治体に設置されて、苦情解決や援助過程における子どもの参加と意見表明の支援に特化していったと。
子どもを受動的存在にとどめるのではなくて、能動的権利行使主体として認め、アドボカシー活動のように、権利擁護を具体的に進めていく必要がある。
実は、改正児童福祉法にだけ記載されているのではなく、社会的養育ビジョンにも自治体への計画策定要領にもトップの方に書かれている。以前は、そうした書面に付録のようにして書かれていたから、トップに書かれていても、また書いてあるくらいにしか感じていないようだ。
子ども観のコペルニクス的転回を、重要なポイントであると認識すべきところから今後が始まると言っていい。