ゲームチャットと里親・口座チェックも

オンラインゲームでの子ども誘拐が相次いでいる。チャット機能で、気楽に友達だと思って話している人が、実は犯罪をたくらむ人だったら。すべて悪人だと思う必要はないが、用心をする必要はある。しかし子どもに善悪の判断をさせるのは難しい。

保護者が対策を立てる必要がある。とくに里親はさらに気を付ける必要があるだろう。これまで端末がなく里親宅にきて初めて手にする子ども、あるいは安全な場所にきてほっとしてチャットなどをする子ども。

里親会などで、きちんと対策を立てるべきだと思う。里親の責任が問われる事態になる可能性がある。

ところで、子どものお金の口座のチェックも必要。いつの間にか引き出されるような世の中だ。

社会的養護・考

まず「養護」は明治期の翻訳語として日本語に定着した。が、戦後の使われ方はその意味内容が違ってきた。

戦後は、養育保護を「養護」というようになった。

昭和40年代初頭、「社会的養護」が『教育原理』で使われるようになる。

その後、社会的養護は広義の意味で多様に使われるようになる。家庭への支援、自立支援なども含める。

ところで、こうしたこともいえよう。

――「養護」から「施設」的要素を除去し、地域社会へと結びつけるために「社会的」という語を冠したのではないかという一つの推測が成り立つのである。そしてそれは、「養護」という語が、閉鎖的で前近代的な、すなわち「社会化」されていない施設のイメージを含むものとして理解されていたことの表れであると考えられるのである。(「養護」という語の歴史的な展開――児童福祉分野における「養護」 吉田幸恵 96P)
 

子どもとコロナ、総括

西日本新聞(9月10日)で、子どもNPOセンター福岡代表理事の重永侑紀さんが子どもとコロナについて総括的なことを言っている。

一斉休校は、科学的根拠に乏しい政治的判断だったとの見方も強い。「子どものためと言いながら、肝心の子どもの声は聞かない。結果として、大人の価値観が押し付けられている」と。

学年を締めくくる子どもたちの最後の1カ月は、突然失われた。2月27日、安倍首相は新型コロナウイルスの感染拡大防止を掲げ、全国の小中高校などに一斉休校を要請した。子どもは無視できると思われた、と。

代替家庭養育はどうか

改正された児童福祉法では、第1条で「子どもの権利」をうたっている。子どもを権利の主体としてとらえる考え方。護るべき対象だけではない。

社会的養護の分野では長いこと「養護」という言葉を使ってきた。歴史的には施設から出てきた考え方のようだ。「護る」ことを主体にした。

ビジョンを提案した奥山さんたちは「社会的養育」という言葉を提案している。

里親の養育も家庭養護でなく家庭養育としたいものだが、一般家庭の養育と区別がつきにくい。そこで、国連などの使っている代替的をセットで使うことにしてはどうだろうか。里親の行う養育を「代替家庭養育」としてはどうか。

アドボカシー本

アドボカシー、子どもを権利の主体者として、きちんと意見を聞く考え方。堀正嗣さんの本『子どもの心の声を聴く――子どもアドボカシー入門』(岩波ブックレット)が発行された。まだ読んでいないが、社会的養護関連ではとても大事な考え方なので、ぜひ読んでみたいと考えている。